やまだのプロフィール

やまだは、妻、娘2人、
東京都内に暮らす40代の普通の父親です。

もう少し付け加えると、こんな感じの人間です

仕事

投資不動産とセンチュリー21、43歳で起業で23年間、不動産業界におります。
不動産業界の経歴
・不動産投資会社 4年間勤務 7か月成績0経験、 翌年トップセールスになる。
・センチュリー21 14年間勤務 東京都城南エリア売上1位  店長経験を4年間
・㈱レジペアーズ起業 総取引金額100億円、物件内覧数6万件 接客数2000件以上経験

趣味 ゴルフにハマり、月4回ラウンド。
練習しないで、合理的に上手くなるように、
「72」を目指しています。←本気(笑)
ビジネス書を毎月5冊読む。
スポーツ観戦(野球)
山登りに大ハマりして、
富士山頂上にすでに3回登ってます。
好物 パフェやチョコレートの甘いモノ、
ラーメン、カレー、春巻き、
焼き魚、ステーキ、
性格 相当なポジティブ思考。怒る事はほとんどないです。
気になったら即行動します。
2022年にゴルフ選手権で、
スコアがビリで悔しくて号泣しました。
人生に深みがでたのか、
感情を素直に出せるようになったのだと思います。

不動産を始めたきっかけ

26歳の時、父親ががんで亡くなりました。
実家には、叔父からの借金があり
父親が返済していましたが、
1,000万円が残ってました。

借金返済のために、
どうしたら返せるのか?
悩んでいた時に出会ったのが

金持ち父さん・貧乏父さんの本。

この本は、不動産投資を購入し
家賃収入を得て、借金を返済する。

お金に働いてもらって、
不労所得を得るという内容でした。

これなら、簡単に
実家の借金返済ができるな!と。

不動産投資を学ぶなら、
就職したらほうが早いと!
何も考えずに
不動産投資会社へ就職しました。

不動投資会社の現実

いざ入社日に事務所に行ったら
愕然としました・・・。

一言、「やってしまったな・・・」と

目に飛び込んできた映像は
テレビに出てくるような営業会社でした。

「契約おめでとう!」

「契約おめでとう!」

「契約おめでとう!」

「契約おめでとう!」

短冊と言われる(黄色のすっごい長方形の紙)
壁一面にズラッーと並んでいるのです。

昭和でいえば、
【THE 営業会社】w

部屋は、雑居ビルのワンフロアで
エレベーターは、
毎回「ガタン」って言うので、
いつ壊れてもおかしくなく状況。

そして
何よりきつかったのが
たばこを吸いながらの社内環境。

当時は、タバコ吸いながら
電話営業ができる職場であり
9割の人が吸っていました。

営業マンの怒鳴り声も聞こえてきて、
目がテンになるとはこういう事だなと・・・。

それでも、借金という返さなければ
ならない状況で
1日300件の電話をかけまくる
過酷な日々が続きました。

残り2か月でクビ

安易に入社したツケは
まだまだ続きます。

今では、本当に考えられませんが
入社してから、ずぅ~~っと
7か月間、営業数字がゼロを記録。

1件も契約が取れない経験をしたのです!

 

あと、2か月で、上司にクビ宣告!

 

絶体絶命の状況で、
残りの2か月は、
違う課に異動されました。

しかも当時、絶対に行きたくない課に・・・。

鬼上司が怖すぎて、身体もワイド
(いわゆるデブです)
電話は壊す、叫ぶ、睨む。

もう精神的にも病んでいたので
何もかもが終わったなという
びくびくした気持ちでした。

早く「辞めたい・・・」
心の底で思ったのが本音でした。

まさかの・・・

奇跡がおきるのです!

異動して、たったの1週間で
同行営業してくれて、
初契約になったんです!!!

心臓がバクバクと鼓動が早くなり
頭が真っ白になったことを
いまでも鮮明に覚えています。

なんなんだ、この人は!!!と

言動や容姿から尊敬なんかは
想像もできない人だったのです。

実は、後になって分かったことで
鬼上司は、部下には
めっちゃ優しかったのです。

上司曰く、
「俺は、お前たちと同じく毎日電話営業して
下から這い上がってきたから
痛いほどお前らの気持ちがわかる」
と常々言ってくれてました。

違う課にいると、内部の事は
全くわからないですが、
固定概念がいかに邪魔をするんだなと
改めて考えさせられた体験でした。

そこから、
おかげ様で、14か月連続契約をして
瞬く間にトップセールスマンに
してくれたのです。

営業というノウハウを学びを得て
とても有り難いことでした

投資不動産の限界

売れてしまう営業になると
違う欲が出るモノです。

会社の方針としては、
不動産が売れるなら売ってしまえという
会社や上司の考えに違和感を
覚え始めました頃でした。

売れるんですが、しっくりこない。
だんだん不動産を売っていいのか?と
気持ちがすさんでいったのです。

いわゆる、売り逃げをしている状態です。

入社して3年経過し、娘が産まれたことが
キッカケでした。

自分は、この仕事を果たして
子供(娘)に誇れるのだろうか?
「お前の心が知りたい」と
自問自答する日が続きました。

こんなに悩んだことはないというぐらい
悩んでいたら、1年も経過してました。

正直、給料は高水準で、
年収1000万円超え、
海外旅行や成績優秀者の旅行が
年二回ありました。

今までに味わったことのない
超好条件の会社だったことは
間違いです。

家族ができて、
養っていかなければならない。

そんな葛藤の中、

「自分は子供に誇れる仕事したい!」
自分の想いを信じて、
4年間で、終止符を打ちました。

その後、住宅(マイホーム)を仲介する
センチュリー21に就職。

電話地獄から一生に一度のマイホーム世界

投資不動産の電話営業とは
びっくりするぐらい
営業方法が違ったのです。

なんと、お客様から家が見たいと
言ってくるのです。

1日300件掛けていた電話が
嘘のような反響が入る毎日でした。

これは、自分にとって天職だ!と
すぐに分かりました。

お客様の理想の条件に合う家探しは
ワクワクしており
楽しくて仕方がありませんでした。

お客様も満面の笑みで契約ができるし
引っ越しの後も継続してお付き合いができる。

こんな幸せのことはないなと
感じながらマイホームを提案してました。

センチュリー21の3店舗経験し
最後は店長になりました。

時代と共にお金になる不動産

店長になった頃から
特に感じていたのが
不動産の価値が変化しました。

お客様の理想の条件を探すのではなく
将来の価値がある不動産を
コンサルティングする。

そして、お客様の理想の条件を探す。

今までの提案自体が
変わり始めたのです。

なぜ?そう思ったのか?

一番の理由

お客様を幸せにしたい、そして10年後に、
「マイホームを購入してよかった」
と喜んでいる姿をみたいと
強く芽生えたからです。

投資不動産の時は、全く気持ちはなく
売ってしまえばいい、これを買えば
お客様は将来、絶対に喜ぶんだ!

という自分勝手な解釈をしてました。

それに比べて
マイホームは、家族との幸せが
ダイレクトに伝わることが
大きかったのです。

そして、頼りにされ、信用が増すと
自ら永くお付き合いをしたいと
考えるようになったのです。

売ったら売りっぱなしではなく、
お客様と永いお付き合いをしたい。

そんな気持ちが芽生えた時に、
ファイナンシャルプランナー
というお金の専門資格が流行りました。

生命保険の営業マンが
バンバン取得していた時期でもあり
保険を売るではなく、お金の提案をする時代。

「あっ、これだ!」と

お客様と永いお付き合いしたければ、
お金の知識が絶対必要になる。

これからは将来を見据えた
不動産コンサルティングが
お客様も喜ぶし、何より
自分自身が
自信をもって紹介ができる。

そう確信し、
ファイナンシャルプランナー2級
資格を取得しました。

信頼してもらえるお客様が徐々に増え、
その実績が認められ、
店長職に就任しました。

起業への想い

店長の仕事は、部下の
マネジメントが中心となり
お客様との会話や提案が
激減しました。

会社のノルマは達成する。

しかし、部下たちは、
お客様の理想の条件を聞いて
そのまま提案していました。

心のどこかで、
引っかかってしまい、
許せなくなっていました。

これが、本当にやりたかった事なのか?
そうなの?どうなの?
投資不動産を退職する時とは別の悩みでした。

やっぱり、僕は
資産価値があるマイホームを
コンサルティングしたい。

自信をもったお住まいで
「永いお付き合いをしたい」

そんな強い気持ちが
センチュリー21の店長職の
肩書を捨ててまで
起業をすることを決意しました。

今日に至るまで、様々なお客様や既存の顧客様、
そしてご紹介を頂き感謝をしております。

関わった全ての人は、
これからも永く愛されるビジネスになるように

時代に合わせた不動産選び、
老後2000万円問題を解決したい。

そして、
マイホーム購入や売却、
不動産投資やクラウドファンディングなど
様々な分野を分析して、
コンサルティングする事が
私の使命です!

不動産売買仲介の資格

・宅地建物取引士

・不動産仲介士

・2級ファイナンシャルプランナー

・住宅ローンアドバイザー

Resipairs(レジペアーズ) 由来

Residence レジデンス
住宅・マンション・資産性
Pairs ペアーズ
2人で、一緒に、ずっと
永いお付き合いをするために
資産価値の高いお住まいを
コンサルティングする